ひらひらさんの読みながら「なるほどーーーー」と唸ってました。
寒中見舞い出したことないし年賀状も10年ぐらい出してない平成っ子のなかッちです。常識があまりないタイプの32歳です。
「見舞い」に関してはかなりおもしろいので書かせてください!ここに着眼するのがさすがあさみんさんですねー!!
まず見舞いには2種類の使い方があります。
①病人のお見舞いをする。暑中見舞い
②パンチをお見舞いした。水害に見舞われた。
見舞いの意味は①が本来の意味で、②が派生系だとする説では、挨拶や看病に「見回る」という言葉の音と、忙しくし行ったり来たりている様子が「舞っている」ようだったことから、「見舞い」になったとあります。
しかしこれでは②と関連がなさすぎます。
「舞い」という言葉には「舞い上がる」と「舞い降りる」という使い方があります。
ここで「舞い下がる」ではないのがポイントです。
「降りる」という言葉は、「下がる」に比べて、天から予期せぬものが降ってきたという意味合いが含まれます。
「降臨する」「降水」
これと舞いがセットになって「神が舞い降りる」なんて使いますよね。そのため「舞う」という言葉にも、どこかしら神秘的な意味がくっついてきたのだと考えられます。
だから②のように、災害や被害にあった際、それは予期せぬ出来事、人智の及ばぬ出来事であったために「見舞われる」という言葉を使ったのだと思います。
そして①も同様、予期せぬ知人の来訪などに対して使われたのだと考えると、スッキリと理解できます。
まだ電話も電報もない時代、病気になって心身が疲れ果てているときに、知人が自分の心配をして会いに来てくれる。またはその想いをこめた手紙を送ってくれる。
それを受けた人はきっと、予期せぬ出来事に心踊ったことでしょう。
そうした気持ちから「見舞う」という言葉になったのかもしれません。
以上、「見舞い」の語源考察でした!
ちなみに「舞う」は大和言葉じゃなく中国語由来の言葉です。
大和言葉には「踊る」があります。
なので中国語をもっと詳しく調べたら正確な由来が判明するかもしれません。