トップページ › フォーラム › 質問掲示板 › 軽度知的障害の子に、勉強は無駄ですか? › 返信先: 軽度知的障害の子に、勉強は無駄ですか?
僕もその方の「知的障害があれば勉強は無駄。教育虐待だ」という発言にドン引きします。
そもそも、教育は「現時点までで困ったか困ってないか」ではなく、その子がより幸せな自律した人生を歩んでいくために行うものです。
だからこそ、子どもに適切な教育を施すことは、あらゆる法律や条文で、国や保護者の【義務】として定められているのです。
確かに、本人の発達段階を無視して、負担過重になるような知識の詰め込みは教育虐待にあたります。
だけど、知らなかったことを知れた。読めなかったものが読めた。できなかったことができた。嫌で仕方なかったものの苦痛が和らいだ。
このような小さなステップの積み重ねを通して、子どもが少しでも幸せを感じられる瞬間を増やしていくこと、これらは虐待でしょうか??
反対に、「子どもに無理させない」という聞こえのよい言葉に陶酔して、子どもが何もできないまま体だけが大人になっていく。本当だったら自分のできるはずだったことも、開花するかもしれなかった知的好奇心も育たせず、あらゆる可能性を潰してしまうことは「教育ネグレクト」にならないのでしょうか??
そんなわけないですよね。そして、その発言をした方も自分のおかしさに薄々気付いているはずです。
だけどどうしようもない。どうして良いかわからない。だから安易な方向に逃避し、その罪悪感から目を背けて安心するために、近くにいる人を道連れにしようとする。
これまでの14年間で、そのように近くの人が離れていき、破滅していった方を何人も見てきました。僕が直接支援をしようとしていたけど、今の米島さんのように「この子には必要ない!虐待だ!」と物を投げつけられ拒絶されたこともあります。
その子は3年後に公園で小さな女の子に暴行をして少年院送致になりました。
もし、あのとき僕が児相と連携して、必要なら警察とも協力して突っ込んでいれば何か違っていたのかもしれないと考えることもありますが、もうどうしようもありません。
すみません。少し感情的になって話がそれました。
米島さんの娘さんへの思いはごく自然で、我が子への愛情に溢れた尊いものです。米島さんのような方がたくさんいてくれたら、きっと子どもたちは幸せに大きくなれるのになーと日々感じています。
例え心ない第三者から「親のエゴだ」と言われようとも、これからも続いていくお子さんの人生に、少しでも笑顔が増えるよう、サポートを続けていきましょう。
子どもの人生に最後まで責任を負えるのは、家族だけですから。